引き寄せとアドラー

アドラー心理学の新刊が出て、今年も注目度の高いアドラーですが、引き寄せの法則と共通点が多いなと思います。

とくに重要なのが、引き寄せもアドラーも『ありのままの自分を受け入れること』。

ここが大変重要で、かつなかなか難しいポイントでしょうか。

そこで今回は、引き寄せの法則とアドラー心理学を比較しつつ、『自分を受け入れる方法』についてもお話してみましょう。

 

 

アドラー心理学の特徴は『目的論』

まず、アドラー心理学を知らない人のために基礎知識から。

アドラー心理学の最たる特徴は『目的論』にあります。

目的論と対比した理論に『原因論』というのがありまして、原因論はかの有名なフロイトが提唱した理論ですね。アドラーはこの考え方と真っ向から対立することになります。

まぁ伝記は割愛しまして、目的論と原因論の違いを理解できるよう例え話を致しましょう。

 

すごく嫌な上司がいます。

いつも無理難題をふっかけてきて、この上司のせいで仕事は遅れているというのに、納期が遅れた責任は自分のせいにされる。なんとも嫌な上司ですね?

だから『私』は常にイライラしています。

さてこの出来事を原因論で考えると、『私』がイライラしている最大の原因は上司ということになります。上司を排除しない限り、『私』は幸せになれません。

ですが目的論で──つまりアドラー心理学で考えるとこうなります。『私』がイライラしているのは『私』のせい。

ここからは、ちょいキツい理屈なので、本当に上司にイライラしている人はあまり感情移入しないでくださいね。

 

さて、横暴かつ不条理な上司にイライラしているというのに、どうして『私』のせいなのか?

それは、イライラという感情にも目的があるからです。

目的は人それぞれですが、例えば、こういう目的が考えられます。

「こんなダメな上司の下で働かねばならない不甲斐ない自分を認めたくないから、上司のせいにしている」

「上司の命令にNOと言えない意気地なしの自分を隠すために、上司のせいにしている」

「自分の仕事の遅さを認めたくないから、上司のせいにしている」

そんな見たくない現実に蓋をするために、イライラしているわけです。

イライラして上司のせいにしていれば、「上司が無茶ぶりしてくるからだ」と思い込んでいれば、自分は悪くないわけですから。

目的論とは、このようになかなか手厳しい理論なのです。

 

 

原因を追及しても幸せは始まらない

ビジネスや事業ならば、原因を追及して問題点を直せば売上改善することもあります。

ですが人生は違います。

なぜなら、そこには『関係性』があるから。つまりしがらみですね。

上記の例を原因論で解決しようとするならば、選択肢は一択です。『上司を排除する』──これしかありません。

でも、そんなこと現実的に無理です。様々なしがらみがありますから。

つまり人間関係というものは、ビジネスほど単純じゃないのですね。こうしてああすればこうなる、と分かっていても、そもそもの『こうして』ができないのです。

でも、できないと分かっていても原因論で発想していたほうがラクなのです。人のせいにしておけば、自分は悪くありませんからね。

 

目的が分かっても受け入れがたい

アドラー心理学とはつまり、自分の身の回りに起こっているすべての出来事は、自分に責任がある、ということです。

手厳しい理屈ですが、『出来事の責任を自分で引き受けない限り、出来事を自らの力で変えていくことはできない』というのは当然の帰結です。

誰かのせいにしていたら、人生の主導権はその誰かにゆだねることになります。

自分は悪くないのですから、変わる必要はありません。そして上司も変えられません。結果、出来事は悪化の一途です。

そしてこれは、引き寄せの法則にもまったく同じことが言えます。

 

引き寄せの法則は、甘やかしの法則ではない

引き寄せの法則の真骨頂とは、「出来事の責任は自分でとる」ということなのです。

ブラック企業に入ってもそれは自分のせいなのです。自分がブラック企業を引き寄せたのですから。

いつもダメダメな恋人と付き合ってしまうのも、彼氏彼女のせいではなく、自分のせいなのです。そういうダメダメな人をいつも選んでしまうのですから。

引き寄せの法則は「いい気分でいればいい出来事を引き寄せる」ですから、一見すると、とても簡単で甘美な法則に聞こえます。

でもよく考えてみると『いい気分』ってなんでしょうか?

ラクで安定している会社に入ったらいい気分でしょうか?

理想の恋人をGETできたらいい気分でしょうか?

そういういい気分は、実は本当のいい気分じゃないのだとぼくは思います。

なぜならば、安定している会社を辞めたらいい気分が消えますし、理想の恋人と別れたらいい気分ではいられなくなりますから。

人や出来事に依存した気分なんて、その人がいなくなったり出来事が終わったしまったら消えてしまいます。つまり自分以外に依存している気分なんて風前の灯火のようなものです。

もちろん、いい収入を得たりテーマパークでデートしたりして、ひとときのいい気分を味わうのは構いません。それはとても素敵なものです。

ただし、いい出来事を恒常的に引き寄せるためには、もっと安定的ないい気分を手中に収めなければなりません。

卵が先か鶏が先かという話がありますが、この場合は、つねに卵が先です。

『安定的ないい気分』があるからこそ、常にいい出来事を引き寄せられるわけです。いい出来事(会社や恋人)があるからいい気分でいられるわけではないのですね。

 

さて、では安定的ないい気分とはいったいなんでしょうか?

それが『出来事の責任は自分でとる』ことなのだとぼくは思います。

出来事の責任を取る覚悟があるということはつまり、自分の力で出来事を変えていけるということです。

例えどんな逆境に立たされようとも、自分には、それを乗り越えていく力があることを確信しているということです。

そのとき始めて、どんな出来事にも揺らぐことのない気分を手にすることができるでしょう。

それが本来の『いい気分』ということです。

いい気分とは、理想の未来を作っていける力ということであり、自分はそれを持っているという確信、それがいい気分だとぼくは思うのです。

 

どうすればいいのか?基本:嫌な気分は別に悪くない

では、『理想の未来を作っていく』ために、どうすればいいのでしょうか?

基本は『嫌な気分は別に悪くない』と知ることです。

皆さんは『嫌な気分でいると嫌な出来事を引き寄せる』と思っていませんか?

違います。

正しくは『嫌な気分になるような出来事を放っておくからますます悪化する』だけです。

当たり前ですよね?

例えば目の前に、ライオンが現れたとします。向こうの交差点から、なぜかひょっこり。

目が合います。メッチャうなってます。

さてあなたはどうしますか?

全身鳥肌が立って、顔面蒼白になって、膝はガクブルになっても、一目散に逃げ出すでしょう?

それでいいのです。嫌な気分とは、それが本来の役目なのですから。

危機的状況に危機感を感じなかったら、死んでしまいます。

でも、引き寄せの法則を知ると、この当たり前のことを曲解してしまいます。

曲解とは、眼前にライオンがいるというのに──

「いやいやいや! いい気分でいなくては! こんなところにライオンがいるわけない。わたしは怖がってない。大丈夫、よし、いい気分!」

──とか考え始めます。

そしてガブリ、です。

『嫌な気分になるような出来事を放っておく』とはこういうことなのです。極端な例だったので逆に分かりにくいかもしれませんが、もうちょっと生々しく例えるなら昔のぼくですね。

ニートしてるのにカードでモノ買って、毎月の預金口座がガンガン減っているというのに残高確認しないんですよ。借金作って強制労働に駆り出されるまで残高チェックしませんでした。「きっと大丈夫、なんとかなる」などと思って。

まぁいま生きてますから、そりゃあなんとかなるのですけれども、リカバリーはお世辞にも楽しかったとは言えませんでしたね(涙)。

この現象を、ぼくの先生は『引き寄せの嘘』と名付けました。詳しくは先生の著書をご一読ください。

 

嫌な気分になるというのは、つまり人間として至極正常なことなのです。

嫌な気分とは、つまりはエネルギーなのですから。

人間を行動に駆り立てるためのエネルギー。必要悪な存在なのです。

人間がまだ猿だった頃は、危機感というエネルギーが、人を生き長らえさせたのですからね。

何百万年とそうやって生きてきたのですから、たかが百年足らずの現代人が、その感情に蓋をできるわけがありません。

だったら利用すればいいだけの話です。

利用というより、より自然に、感情を使えばいいだけの話です。

 

アドラー心理学は『使用の心理学』とも呼ばれています。

何を使うのかというと、ぼくの理解でいえば『感情』を使うということです。

嫌な気持ちやネガティブシンキングも、それをエネルギーとして行動に移せばいいのです。ライオンが目の前に現れたら、一目散に逃げるように。

嫌な上司がいるなら、なんとか工夫してその上司に横やりを入れさせないとか、社長と直談判して自分に権限を委譲させるとか、行動を起こせばいいのです。会社やめて独立したっていい。

ただし、嫌だからといって別の会社に転職するのはオススメしません。なぜなら、次の会社にも嫌な上司はいますから、100パーセント。詳しくは『転職しても、やりたい仕事は引き寄せられない』にて。

負のエネルギーを糧にして自分を行動に駆り立てていくこと。それが感情の利用法です。もしそこまでの行動が起こせないということは、実は大して腹を立てていないということです。

上司のせいにしていれば憂さが晴れる程度、ということですね。

本当に本気でヤバイ状況になったら、勝手に死にものぐるいで行動しますから。

 

ただし、負の感情エネルギーは、あまりオススメはしません。

ぼくは身をもって体験しましたが、ほんとしんどいです。

だから、転ばぬ先の杖をつきましょう。

感情とは、いい気分もエネルギーになるのです。

楽しくて楽しくて仕方がないこと。それも自発的な行動に駆り立てます。引き寄せの法則の真骨頂はまさにここなのです。

ぼくは、学生のころ、ホームページ制作が楽しくて仕方がありませんでした。HTMLとかポチポチ打っているのが至福でした。傍から見たら何が楽しいのか分からないでしょうけれども(^^;、ぼくにとっては楽しかったのですね。

だから、誰にも何も言われずにホームページの作り方を独学して、それがのちのちに、ニート脱出の契機となります。さらに、いろんな偶然が重なってそこそこ儲けました(^^;

まさに引き寄せといえるのではないでしょうか?

 

いま苦境に立たされている人は、そのツラさをエネルギーに変えてください。

いまそれなりの人は、より楽しみを追求してエネルギーにしてください。

一番まずいのは、感情をなくすことです。

嫌な上司に飼い慣らされて、居酒屋で愚痴れば気が収まるような、そんな中途半端な感情が一番よくありません。

不条理に対してイライラしているなら、もっと怒ってください。憤激してください。それを行動のエネルギーにしましょう。

ただし、行動の責任はすべて自分で請け負うと覚悟して。まぁもっとも、どんなに人のせいにしても転職しても逃げても、最後の最後で自分の人生は自分で責任取らされるのですけれどもね。

 

覚えておいてほしいことは一つだけです。

嫌な気分をエネルギーに変えること。

嫌な出来事が起こったとき、この一言を思い出してくれれば、エネルギーに変えることが、徐々にですができるようになっていきます。

忘れないでください。

 

どうすればいいのか?応用:自分を受け入れる

自分の責任を取ることは、なかなかどうしてしんどいものです。

それは自分を受け入れることに他なりませんから。

アドラー心理学を体得できるようになるまで長い年月がかかると言われているのも、『自分を受け入れることができるようになるには長い年月がかかる』からです。

先の上司の例で言えば、不条理な上司のせいにせず「自分が至らないせいだ」と思うのは大変しんどいことでしょう。

しかもそれは、自分を卑下するわけではないのです。

自分の至らなさを認めながらも、自信を失わない状態でいる──そんな相反する状態が『自分を受け入れている』状態であり、本当の『いい気分』なのです。

そんなこと、可能でしょうか?

可能性の一つとして、上記の通り、嫌な気分をエネルギーに変えて、一歩一歩経験値を積んでいくことです。

どんな不可能に見える出来事にも、突破口は必ずあります。

「ああもうダメかも」と思っても、なんとか解決できた。そして次また「ああもうダメかも」と思ってもどうにか解決できた。これを繰り返していくと「今回もキツいど、まぁなんとかするさ」という心境になっていきます。「なんとかなるさ」ではなく「なんとかするさ」です。このわずかな違いに主体性が出ていますからね。

このくらいの心境になってくると、心理的盲点が外れて、不可能と思えたことにも解決策を見いだせるようになります。これがあたかも「引き寄せた」かのように見えるわけです。

でもやはり、時間がかかります。おそらく、最低でも5〜6年は。

 

これをもうちょいショートカットできる方法はないのでしょうか?

その近道として、ぼくは瞑想を勧めています。

 

瞑想の初期段階は、感情を認知する練習のようなものです。

端的に言うと、感情を認知することはメタ認知と呼ばれています。

イライラしながら「イライラしているな」と冷静に考えることができること、それがメタ認知です。

この認知能力を獲得して始めて「上司にすごくイライラしている。でもそれはぼくのせいだから、ぼくのやり方を変えていこう」と思えるようになります。

自分の至らなさを認めながらも、自信を失わない状態でいることができるようになるわけです。

自分を受け入れているということですね。

激しい感情がわき出ながらも、それを冷静に観察できているからこそ、その激情をエネルギーに変えられるのです。

先にぼくは『覚えておいてほしいことは一つだけ』と書きました最大の理由がこれ、メタ認知です。

メタ認知ができていないと「あーもー! なんなのアイツ! こんな仕事やってられねー! 会社なんて辞めてやる!」となります。

皆さんいまは冷静ですから「そんなこと簡単だよ」と思っているかもしれません。でも明日、職場にいって腹立たしいことが起こったら、『嫌な気分をエネルギーに変えること』なんて考え、すっかり忘れてますから!

それが感情というものなのですね。

だから本番前に練習しておいた方がいい。瞑想は、いろんな効果がありますが、初期段階では、ぼくは『メタ認知のトレーニング』という効果が大きいのではないかと思います。

 

ぼくは別に無我の境地に達しているわけではありません。

ごくごく初期の意識階層をうろちょろしている程度です。

でも、そんな浅い瞑想でさえ、実社会では大変な効果があると思っています。その効果がメタ認知の習得です。

これはあくまでもぼくの瞑想体験ですが、瞑想中、ぼくの中では、ものすごい感情が渦巻きます。だいたい嫌な気分です。

瞑想やっているといい気持ちになる人が多いのですが、ぼくはとても嫌な気持ちになるのです。前世でよっぽど悪いことでもしたのかしら?

なので、常にイライラに飲み込まれてしまいます。瞑想というよりは、イライラしながら座っているだけになるのです。酷いときは、座ってもいられなくなります。

そしてハタと気づきます。「おっといけない。イライラに捕らわれていた」と。

そうしてまた瞑想に戻ります。

これを繰り返していると、次第に、イライラしているのに、その奥底から何かこう、じわぁっといい気持ちがにじみ出てくることがあります。

イライラしているのに、頭がとてもクリアーになります。

思考と感情が乖離して、まるで幽体離脱しているかのように、思考が一つ上のレイヤーにあがって、渦巻く感情をクリアーな気分で観察している、そんな感じ。

『渦巻く感情』を『クリアーな気分』で観察している……どんな状態だソレ?って感じですね。

これが、相反する感情を併せ持っているという状態であり、つまりは、自分を受け入れている状態であるのかな、と最近思うのです。

もっとも、自分を受け入れられている状態というのは、ぼくはもうかれこれ瞑想を十数年やっていますが、十年かかってようやく体得できたわけではなく、1ヶ月もしないうちにできていました。いま振り返ってみると。

どうして自分を受け入れられたのか、そうなるために大いに役立ったのが瞑想だった、ということが最近分かったのです。

だから瞑想は、自覚なくとも、かなり即効性の高いメンタルトレーニングなのではないかと思います。

だからぼくは、アドラー心理学最大の難事である『自分を受け入れること』は、瞑想することによって割合あっさり解決するのでは?と考えております。

 

もちろん、瞑想したっていろいろあるよ?

じゃあ瞑想したら、これからの人生全くもって順風満帆で、嫌な上司もダメな恋人も、問題や悩みは一切なくなるのか?といえば、そうではありません。

瞑想しても、問題も悩みもたくさん出てきます。

ただ、その悩みに取り込まれなくなり、解決策が自力で導き出せるようになる、ということです。

悩みまで受け入れてしまいましょう、ということなのです。それは解決を諦める、という心境でもありません。必ず解決させます。でも悩みを受け入れるのです。

 

そもそも、なぜ悩みがなくならないのかと言えば、人が成長を望む限り、問題はついて回るからです。

ぼくがニートしてたころは、働いている人が神様に見えました。フルタイムのバイトにありつけたら、正社員がうらやましくなりました。独立開業したら、大きな仕事に憧れました。大きな仕事をゲットしても、年収1000万円なんて遙かな高みでした。それなりに稼げるようになると、時間がほしくなってニートがうらやましくなりました(^^;

人生堂々巡りですね? まぁ何が言いたいのかというと、人間は欲望の権化ですから、成長すればしたなりに新たな欲望が芽生えて、それに恋い焦がれるからツラくなるのです。

だからどこまでいってもツラさは付きものなのですね。

だったらそれを受け入れて、よりよいツラさを味わいましょう、というお話なのです。

例えるなら、甲子園を目指す高校球児のような感じ。キツい練習も喜びに変えていけるほどの、ポジティブな気分があればいいのです。

そしてまた、目標設定をどこにするかも重要です。メジャーリーグで大活躍したいのか、草野球で大活躍したいのかでは、そこに至るまでの気分がまるで違います。

そして高い目標が良い悪いの話ではなく、どこを目指すかは、本人の、生まれ持った性向なのだとぼくは思います。

華々しいことが好きなのか、安定しているのが好きなのか、それは生まれ持った気分によって違うから、良いも悪いもないということです。

みんながみんな、芸能人にならなくていいのです。芸能人は見世物だ、と思っている人がいてもいいのです。

 

いずれにしろ、人は自分の好みの人生を歩んでいきます。

引き寄せの法則でもアドラー心理学でも、言いたいことはつまりはそういうことなのですね。

でも、引き寄せの法則を理由に、嫌な現実から目を背けていると、人生踏み外しますのでご注意ください。

だから、いかほどの感情エネルギーを生み出して、どの程度の夢を実現させたいのか?

まずそれを決めることが、目的論の始まりですね。