怒りは、自分に向かっているから引き寄せる

怒っていると、より怒りたくなるような出来事を引き寄せる──これ、その通りなのですけれども、ちょっとザックリしすぎてます。

ザックリしすぎていると、対処のしようもありませんので、もうちょい細かく見てみましょう。

生きていれば、様々な出来事を引き寄せますが、それを怒りと感じるか、喜びと感じるかは、その人の内面がどれほど純粋か、によります。

疲れ切って、心の中が泥水のようであれば、どんな出来事を見ても怒りを感じるでしょう。逆に、心が沖縄の海のようにピュアであれば、どんな出来事を見ても喜びを感じるわけです。

例えば、目の前に黒猫が横切ったとき「縁起悪い」と感じるか「可愛い」と感じるか「ヤマトさんに出荷するの忘れてた! すごい引き寄せ!」と感じるかは、その人の心理状況によるわけですね。

だから、引き寄せの発端は常に自分自身なのです。

常に怒りを振りまいていれば、周囲の雰囲気も悪くなり、人間関係が悪化し、当然、よりイライラする出来事を引き寄せるというわけです。

ではぼくたちは、いったい何に怒っているというのでしょうか?

出来事が怒りの原因でないとするならば、別の原因があるはずです。

それは他でもない、自分自身に怒っている場合がほとんどなのですね。

 

 

怒りは2種類ある

怒りには、2種類あります。

それは瞬発的な怒りと、持続的な怒りです。

瞬発的な怒りとは、たとえば、車を運転していたら急に人が飛び出してきたりして「危ない!」と思うこと。この場合は、運動神経を突発的に動かさねばならないので、当然、激しい感情が伴うわけです。そうしないと動けませんから。

だから、これはやむを得ない怒りです。そのため、突発的に怒ったところで引き寄せには影響ありません。

ですがその後、「なんなんだアイツは! 死にたいのか! 交通ルールちゃんと守れ! まったくどいつもこいつも──」と怒りがなかなか消えない人がいます。これが持続的な怒りです。これは引き寄せによくない。

そしてこの持続的な怒りは、大抵、無意識のうちに自分に向けられています。

つまり無意識のうちに、自分自身に怒っているのですが、それを認めたくなくて、怒りを他人に転嫁しているわけです。

 

 

怒りの転嫁とはどういうことか?

フリーランスをやっていると、クライアントからは、見積もり以上の無理難題を言われることがよくあります。しかも、いろいろ言ってくるところに限って料金が安い(^^;

だからぼくは「まったくなんて無茶を言うんだ!? 非常識にもほどがある!」などと常に怒っていました。

一見すると、この怒りはすごく正当に感じます。当初見積もった仕事以上の要求をしてくるのですから。

でもあるとき、ぼくはハタと気づいたのです。

ぼくは、自分自身に怒っているんだ──と。

つまりぼくは、見積もり以上の仕事を要求してくるクライアントに怒っていたわけではなく、そういう仕事を断れない状況にある自分自身に腹を立てていたわけです。

本来、ぼくは代表ですから、すべて自分で決められます。会社の方針などないし、上司に無理強いされているわけでもない。

だから、追加作業が発生したら追加見積もりを出してもいいし、無茶をいうクライアントは断ってもよかったのです。

でも、数少ない顧客を失うのが怖くて、唯々諾々とサービス労働をこなしていたわけですね。

そもそも、クライアントだって「コイツはいいなりだから、もっと利用しよう」などと思っていたわけではないでしょう……まぁそういうクライアントもいなくはありませんでしたが少数派。だいたいは、単純に、ITという世界を知らなくて、どれほど時間かかるのか分からないから色々言ってきていたのです。

だからぼくは、自分自身に腹を立てていることに気づいてからは、クライアントと、ちゃんと話し合うようになりました。

「このプログラムを修正するには、実は作り直しなので、丸3日かかるんですよ。だから追加費用が発生しますがいいですか?」という感じで。

もちろん、事前の要件定義はしっかり行った上で。まぁこれはいつも行うのですが、ガン無視する人が多いのです(^^; でも話せば、だいたいのクライアントは分かってくれることに気づきました。

まぁ本来、ある程度の会社になれば、こういう交渉事は、営業やマネージャーがやるのですが、ぼくの場合はぜんぶ一人でこなさねばならず、こういうことに気づくのにずいぶん回り道をしました。ポッと独立してしまったので誰も教えてくれなかったし。

どうして最初から、このような話し合いをしなかったのかと言えばひとえに、追加料金を打診してクライアントに嫌われるのが怖かったからなわけですね。

だからクライアントも「このくらい、簡単に追加できるんだろう」と考えて、追加作業がどんどん増えていったのです。

つまりは、怒れる出来事を引き寄せていたのは、他でもない、ぼく自身だったわけです。

 

怒っている対象が自分自身だと気づければ、それを解決するための方法が見つかります。解決策が分かれば、それ以降、怒れる出来事を引き寄せることはなくなるのです。

 

自分自身に腹を立てている、ことに気づかないとどうなるか?

逆に、怒りの矛先が自分に向いている、ということに気づかないとどうなるのか?

ぼくの友人Aは、会社員をしておりますが、ことある毎に上司に怒っておりました。

曰く、いい加減、嘘つき、だらしがない、言っていることが都度変わる、エトセトラ……。

なにげにぼくも、その上司とは面識があって、というかその上司はぼくの先輩にあたるんですけれども、そこまでヒドイ人間には見えません。

そもそも論として、同じ人間の評価でも、見る人によって全然違うのですね。

まぁ『言っていることが都度変わる』のはその通りだと思いますが、その共通認識ですら、ぼくと友人Aでは、抱く感情が違います。ぼくは、「そりゃあ、状況が変われば半年前に言っていたことは変わるでしょ?」と思うのですが、友人Aはそれが絶対に許せない。ものすごく腹立たしいわけです。

 

ぼくがその友人Aを分析する限りは、彼は、やっぱり、自分自身に腹を立てているように見えます。

嫌いな上司の元で、いつも無茶ぶりをされ、その要求を飲まざるを得ない自分自身に腹を立てているわけです。

ぼくから見れば、そんなに嫌なら独立すればいいのにと思って、独立を勧めたりもしましたが、独立するのは嫌とのこと。しかも、どうして嫌なのかまでは考えていません。一般論的に、収入が不安定になるとかいう程度。

つまり自信がないんです、彼。

でも、自信がない自分をはっきり自覚するのが怖くて、というか、誰かに自信を与えて欲しくて一生懸命働くけれど、上司は常にお客さんのことばっか考えてて、身近な彼には気を遣ってくれない。それどころかいつまで経っても叱責ばかり。(厳しい人ではあるので)

そうするとますます自信喪失に陥りますが、自信を失うのは自分のせい、ということが許容できなくて、上司のせいにして、上司に腹を立てるわけです。

何もかもが自分のせいだと受け入れることは、いわば、自分が絶対に認めたくない『影』を晒すことであり、それは、死の恐怖と同じなのだそうです。

 

結局、友人Aは会社を辞めて別会社に行きましたが、間違いなく、次の会社でも同じような経験をすることでしょう。

彼自身の中から怒りが消えない限り、怒れる出来事をいつまでも引き寄せますから。

 

どうして自身への怒りを認められないのか?

自分に怒っていると認められない原因は、ひとえに、認めたからといって解決のしようがない、と思い込んでいるからだとぼくは思います。

でも真実は逆。

自身への怒りを認められないから解決しないのです。

認めた瞬間に、現実が変わります。これがいわゆるパラダイムシフト。

自分の影を認めた瞬間に、解決策が引き寄せられるのです。

でも自分の影を──つまり自分の弱みを認識しないで解決策を引き寄せることはできません。

なぜならば、脳への質問が成立しないから。

度々書いておりますが、脳は、質問したことには必ず回答を導きだします。適切な回答が得られないのは、質問が間違っているからです。

 

友人Aの例でいえば「アイツ嫌い。もう心底イヤだ。発狂しそう。なんとかしなければ」という質問をすれば、そりゃあ、「退職しよう」という回答になるでしょう。

でも「自分自身に怒っていたのか。ではどうすればいいのか?」と質問すれば、もっと違った回答が得られるはずです。

 

何も怖いことはありません。

怖がっているのは、あたかも、お化けに怯える子供のごとしです。

何かすごく腹立たしい人がいたら、ちょっと立ち止まって自問自答するだけです。

「この怒りは、自分に腹を立てているのではなかろうか?」

この質問を思い出せれば、すぐにでも、腹立たしい出来事は霧散すると思いますよ。